続きです。
イエスは、
弟子とする条件を
次のように述べています。
この真意を読み取ってみてください。
弟子とする条件を
次のように述べています。
この真意を読み取ってみてください。
「誰でも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、
さらに自分の命までも捨てて、
わたしのもとに来るのでなければ、
わたしの弟子となることはできない。」
さらに自分の命までも捨てて、
わたしのもとに来るのでなければ、
わたしの弟子となることはできない。」
これはどういう意味でしょうか。
人は、
誰でも両親からも家族からも離れて、
完全に自立し、
自分自身のすべてに対し、
絶対的な責任を持つ必要があります。
自分自身の真我を求めて、
自分の内的な世界に入れるのは
自分だけです。
他人に依存しながら、
自分の真我を
拠り所にすることは出来ないからです。
誰でも両親からも家族からも離れて、
完全に自立し、
自分自身のすべてに対し、
絶対的な責任を持つ必要があります。
自分自身の真我を求めて、
自分の内的な世界に入れるのは
自分だけです。
他人に依存しながら、
自分の真我を
拠り所にすることは出来ないからです。
「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。」ルカによる福音書14: 27
「あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。」ルカによる福音書14:33
続きます。
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コメント
コメント一覧
少なくとも自己愛や善悪の判断や固定観念は、相当な段階に至るまで捨て続けないといけないのでしょうね。
家族愛までも一時捨てる覚悟が必要なのでしょうかね?
その先にそれを越えた大愛が待ってるのだとしても、それはまさに自死程の覚悟ですが…。
簡単に解答がでないからこそ大きな頂なんだと思いますので、しっかり内観していきます。
いつも大きな課題をいただき、ありがとうございます。
完全なる信愛がなければ出来ません。
表現し難い思いが込み上げてきます。
そのような人が過去に居ましたので
その時は理解出来なかったですが
その方の揺るぎない決意だったのだと。
自分の財産を捨てて、かえりみない強さが必要です。
霊的な師は、「ビックボス」と呼べるものでしょか(笑)
その前にまず、身近な師に師事するよう、習慣づけたいです。
まず、天気(自然)を師として尊重して、雨の日も曇りの日も、天候に感謝を捧げて、一体となって生きるようにしたいと思います。
したがって、今日は雨だとか、寒い、暑いなどという、天気を他人事のように評価する(時候の挨拶)日常会話が大変苦手です。
また、飼っている猫など、動物たちを、生命の進化の先輩的存在として、先生だと思って師事したいです。
飼い猫に師事するというのは、可笑しいかもしれませんが、
見習うことはたくさん在るような気がします。
自分が師だと思った時、その対象物は師になる…、とギーター
に書かれたあったと思います(笑)
ここから空海さんは身を投げたのだと、同じように立とうとしましたが、足がすくんで立っていることも出来ません。立って目を瞑るとバランスを失いそうで、閉じることも出来ませんでした。
恐ろしいのです。死ぬことが。
今、丁度読んでいるヨガナンダ大師の本に、そのヒントがありました。「神は誰が創造したのか」という問いに対する答えを読んだとき、瞑想を繰り返しはしていますが、何ら明確な手応えのようなものを感じることが出来ないでいた日々が、一挙に手応えがないままで救われたような衝撃がありました。
大海でありながら、波を私と思い込む。
雲と太陽。あらゆる観念、概念を内包するが、超越しているもの。
強く信じ込み、それが観念だとさえ気付けないる日常を超越する。「在る」の中にいるが故に想起出来る外側の世界。
死ぬこととは、幻想から目覚めること。
肉体的な死ではなく、意識を縛り付けているものを喝破すること。
そこに全てを置くことを、物理的な世界からの死としたのだと思います。
絶えず、この物理的な世界に戻ろうとする意識を、少しずつ繰り返し反転していく。瞑想とは、神の意識を薫習させることだと。
無意味に思える繰り返しは、無意味なままで、その働きを為す。
今の私には、そう映るのです。
これからも、道標として在って下さい。
ありがとうございます。
師を求め、師が何かしてくれるだろうと期待していると、
何もしてくれない、何もしようとしていないようにすらみえる。
すると、師のことを疑い始める。
そして、師の元を去ろうかどうか迷い出す。
でも、ふっと気づく。
師は、自分には何もしてあげられないということを知り、全てを知った上で、ただ宇宙に任せきっていただけだと。
そのとき、あらゆる枠からはみ出す大きな愛を感じた。
全ては本人次第。完全なる自由。
師とは何か。