続きです。
クリシュナが若い頃、
牧童たちと共に
牛飼いをしていました。
牧童たちと共に
牛飼いをしていました。
牧童たちは、
クリシュナを慕い、
どんなことでも従い、
共に喜びを分かち合っていました。
クリシュナを慕い、
どんなことでも従い、
共に喜びを分かち合っていました。
ある日、
牛たちが森の中に迷い込み、
そこで山火事が起きて、
牛と牧童たちが火に囲まれてしまったことがありました。
牛たちが森の中に迷い込み、
そこで山火事が起きて、
牛と牧童たちが火に囲まれてしまったことがありました。
クリシュナは、
牧童たちに
目を閉じているように指示して、
奇跡的な力で山火事を消し、
牛と牧童たちを守りました。
牧童たちに
目を閉じているように指示して、
奇跡的な力で山火事を消し、
牛と牧童たちを守りました。
牧童たちは、
クリシュナが奇跡を起こしてくれたことを
よく認識していました。
でも
彼を神として見るのは、
奇跡を起こした後の
ほんのわずかな時間だけで、
あとは
普通の人間として
見ていたのです。
見た目が同じ地球の肉体であるために、
肉体意識を超えた見方が
出来なかったのです。
クリシュナが奇跡を起こしてくれたことを
よく認識していました。
でも
彼を神として見るのは、
奇跡を起こした後の
ほんのわずかな時間だけで、
あとは
普通の人間として
見ていたのです。
見た目が同じ地球の肉体であるために、
肉体意識を超えた見方が
出来なかったのです。
クリシュナは、
牧童たちに肉体意識を超えた、
超越的意識を学ばせようとしました。
牧童たちに肉体意識を超えた、
超越的意識を学ばせようとしました。
ちょうどこの時期は雨季で、
クリシュナは
牧童たちと雷雨を眺めている時でした。
クリシュナは
牧童たちと雷雨を眺めている時でした。
クリシュナは
牧童たちに言いました。
牧童たちに言いました。
「牧童たち、
君たちは今、
真っ黒な雲が空を覆い、
今にも雷が轟いてきそうな空を見ている。
君たちは今、
真っ黒な雲が空を覆い、
今にも雷が轟いてきそうな空を見ている。
至高の存在である神は、
大空のようなに遍満しているものだ。
そして
その神性(空)は、
無智(鈍性グナ)という
分厚く暗い雲によって覆われている。
雷鳴(激性グナ)と稲妻(浄性グナ)は、
この無智に伴っている。
大空のようなに遍満しているものだ。
そして
その神性(空)は、
無智(鈍性グナ)という
分厚く暗い雲によって覆われている。
雷鳴(激性グナ)と稲妻(浄性グナ)は、
この無智に伴っている。
これが雷雨から学ぶことだ。
神性(空)は、
この三つのグナに覆われ、
隠されている。
だから
君たちには知覚することが出来ない。
神性(空)は、
この三つのグナに覆われ、
隠されている。
だから
君たちには知覚することが出来ない。
この雷雨をもたらすくらい雲は、
風によって運ばれてきた。
だから時間が経てば、
また風によって消えていく。
それと同じように、
君たちを覆っている無智も、
神の叡智によって追い払うことが出来る。
風によって運ばれてきた。
だから時間が経てば、
また風によって消えていく。
それと同じように、
君たちを覆っている無智も、
神の叡智によって追い払うことが出来る。
自然現象を、
目に見えることだけでなく、
もっと深く洞察してみてごらん。
その時、
自然は最高の先生になる。
目に見えることだけでなく、
もっと深く洞察してみてごらん。
その時、
自然は最高の先生になる。
自分を見てごらん。
人間も自然の一部だ。
今までの君たちは
今まで雷雨の空を
ただ雨雲としてだけ見ていたように、
自分の身体も
肉体としてしか見ていなかった。
肉体に宿る神性まで
いつも見通すことが必要なんだよ。
表面的なものだけしか見れないのは、
盲目と同じことだ。
人間も自然の一部だ。
今までの君たちは
今まで雷雨の空を
ただ雨雲としてだけ見ていたように、
自分の身体も
肉体としてしか見ていなかった。
肉体に宿る神性まで
いつも見通すことが必要なんだよ。
表面的なものだけしか見れないのは、
盲目と同じことだ。
肉体は
自然現象の結果であり、
不滅のアートマが原因なんだ。
だから
いつも結果だけを見ていてはいけないよ。
自然現象の結果であり、
不滅のアートマが原因なんだ。
だから
いつも結果だけを見ていてはいけないよ。
自分の見方を変えれば、
世界は変わる。
自分の意識状態に合った通りに
世界は認識されるようになるんだ。
世界は変わる。
自分の意識状態に合った通りに
世界は認識されるようになるんだ。
自分たちが肉体だと思っている限りは、
本当の自分は見つけられない。
肉体は魂の乗り物であって、
身体に内在している神性を見るようにするんだ。」
本当の自分は見つけられない。
肉体は魂の乗り物であって、
身体に内在している神性を見るようにするんだ。」
牧童たちは、
各自家に帰ってからも、
クリシュナが起こした奇跡と
自然現象についての話をよく考えて、
理解していきました。
そして
クリシュナと共にすごす時間が、
さらに
至福へとなっていったのです。
続きます。
今日もありがとうございます。
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各自家に帰ってからも、
クリシュナが起こした奇跡と
自然現象についての話をよく考えて、
理解していきました。
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クリシュナと共にすごす時間が、
さらに
至福へとなっていったのです。
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コメント
コメント一覧
必要なものは多分全て用意されていて、見つけるのは自分次第なのかなと思います。
様々な理不尽なや不可解を、より多く受け入れる事ができれば、自分の真我への道筋に繋がっていくように思います。
真我に出会えた時って実感があるんでしょうかね?
楽しみです。
いつもありがとうございますm(_ _)m
同じように、自らの内に神性を見いだす。
劣等感という雲が流れ去っていく。
今まで、グナという概念が掴めないでいましたが、正に稲妻のようにそれが感覚的に降って来ました。
「自然に学ぶ」と口にはしてきましたが、一部を人間にとって都合のよい解釈で切り取っていただけのようだった気がしています。
「誰にとって」という枠が落ち、その働きかけを見つめている意識として在る。留まっているようで、掴まえることの出来ない流れであり、同時にそれを対象として捉えているものでもあるような。
絶え間無く展開する思考の流れ。
附随する感情。
肉体的な刺激。
その引力の総体を、私だと思い込んでた。
まだまだ、分からないことだらけです。
今夜も聖典と向き合います。
更新、ありがとうございます。
いつも結果だけを見ていてはいけないよ。
自分の見方を変えれば、
世界は変わる。
自分の意識状態に合った通りに
世界は認識されるようになるんだ』
耳ではないのでタコが目にできることはありませんが、かなり以前より幾度となくこの真理を目にし、脳は充分に理解している(と思われる)のですが、
魂のクセ(とでもいいましょうか)が、ネガティブ思考を掴んで放さないのです。
これはプライベートに於いてのことではありますが(社会現象に対してはグラつくことはありません)、私の肉体の外に起こる(繰り広げられる)現象に、良きも悪しきもショックを受けて右往左往の日々です。
それを克服(超越)するための、一般的に言われている禅道修行のような瞑想は(個人的な諸事情も有り)苦手です。
さて、そのような私が、これからどのように往くのか‥‥‥‥。