続きです。
師は、
弟子たちを霊的に目覚めさせて、
霊的段階に応じて
導きを与えることが出来ますが、
弟子の霊的発達については
弟子次第になります。
弟子たちを霊的に目覚めさせて、
霊的段階に応じて
導きを与えることが出来ますが、
弟子の霊的発達については
弟子次第になります。
弟子たちの霊的発達について、
ヨーガ・スートラには次のように書かれています。
ヨーガ・スートラには次のように書かれています。
「激しく熱烈に実践する者にとって、サマーディは近い。」第一章21節
「熱烈な者にもまた、穏和、中位、強烈と分けられる。」第一章22節
これには多重に意味が重なっている節ですが、
霊性修行における熱意と実践の程度によって
弟子のタイプを分類しています。
霊性修行における熱意と実践の程度によって
弟子のタイプを分類しています。
一般社会では、
目標まで到達が早いことが美徳とされていますが、
霊性進化の道では
早い遅いは何ら問題ではなく、
それは
神との合一へ向かうことへの確認にすぎません。
時間軸を超えた領域に入るのですから。
目標まで到達が早いことが美徳とされていますが、
霊性進化の道では
早い遅いは何ら問題ではなく、
それは
神との合一へ向かうことへの確認にすぎません。
時間軸を超えた領域に入るのですから。
穏和でゆっくりであれ、
熱烈で急速であれ、
地上での無駄で無益な時間を費やすことなく、
神へと向かう揺ぎ無い精神を持ち続けることが
何よりも大切になります。
熱烈で急速であれ、
地上での無駄で無益な時間を費やすことなく、
神へと向かう揺ぎ無い精神を持ち続けることが
何よりも大切になります。
「太古からのpuratanah」
という表現は、
この叡智がさまざまな時代を超えて
人類に恩恵を与えてきた歴史があることを意味しています。
世間で役に立っているとされる多くの情報は、
時代と共に消えていきます。
でも
真理に根ざした叡智は、
時の試練にも色あせることなく
常に新鮮な光の指針として輝き続けます。
という表現は、
この叡智がさまざまな時代を超えて
人類に恩恵を与えてきた歴史があることを意味しています。
世間で役に立っているとされる多くの情報は、
時代と共に消えていきます。
でも
真理に根ざした叡智は、
時の試練にも色あせることなく
常に新鮮な光の指針として輝き続けます。
また魂が、
人として地上に下りてから
今までの自分自身のことをも示しています。
人として地上に下りてから
今までの自分自身のことをも示しています。
クリシュナは、
ここでアルジュナのことを
「bhaktah(信愛する者、帰依する者)」
と
「sakha(友)」
と同時に読んでいます。
ここでアルジュナのことを
「bhaktah(信愛する者、帰依する者)」
と
「sakha(友)」
と同時に読んでいます。
これは、
クリシュナ(神)は
本質的にすべての存在が
上下関係も無く差別なども無いことを示しています。
クリシュナ(神)は
本質的にすべての存在が
上下関係も無く差別なども無いことを示しています。
この二つの言葉を並べることによって、
クリシュナは、
自らを
相対的な立場に立脚していない
という立場を明確に示しています。
続きます。
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クリシュナは、
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相対的な立場に立脚していない
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コメント
コメント一覧
先ずは、自らの霊性に目覚めること、ただし、これはゴールではなく、
そこから更に、その霊性を更に磨いていく、
どうやって?
などという問いかけが無意味にも思える程に、雄大な道が続く。
そのことを知り、心は不思議に安らぐ。
福沢諭吉翁の学問のすすめの超有名一文である
「天は人の上に人を造らず
人の下に人を造らず。と言へり」
この『言ヘリ』にあるように(抑々諭吉氏が言われたのではないのですが=それはさて置き)
『‥‥と言われているが、しかし実情は‥‥』
歴然とした上下が有り
けれども学びに因って、平等ポジションを獲得可能と
述べられているに類似と捉えて宜しいのでしょうか?
‥‥クリシュナがアルジュナに伝え説いた意は。
何故ここに学問のすすめを引用したかと言いますと、
福沢諭吉氏には実に様々色々な矛盾エピソードを感じておりまして、常より、喉元に引っ掛かった小骨のようなものを何処かに感じているからなのです。
クリシュナ(さま)と
アルジュナ(さま) に
何らの遺恨はありませんが
人間とは妙なもので
いつもどこかスッキリしたいと願っているものであることを
こうした折に我ながら気づかされることとなります。
『相対的立場に立脚しない』‥‥
『神(存在)なればこそ』かと(も)‥‥。
創造神?最高神?それらとは別の神の化身?
あの時は、概念的整理をしないと前に進めませんでした。
でも、クリシュナが真我そのものと気づいてから(多分…)、その辺りの事はそれ以上詮索しないで脇に置きました。
概念自体、マーヤですから。笑
「ギーター」は、真我であるクリシュナが読者の「真我」に向けて直接語っている。
自我の領域にある「心」に向けてではなく。
と改めて認識すると、決して頭で理解できるものではなく、直観的認識をすることでしか本当には分からないし、
他の書物とは異質の唯一無二の聖典だということも深く頷けます。
3章のカルマヨーガの箇所も、「自分を行為主体と考えてはならない」、とか「行為の結果を期待してはならない」とか、何か立派な人格者になるための自己啓発本の延長にある教えのような重たい受け止め方をしていました。
こうなると、とたんに自我が抵抗しだします。笑
でも、
「真我に在るとき自然とこういう在り方をしているもの」ということが書いてあるだけなのだ(そこに至るのは難しいですが)
とすっと受け止められるようになりました。
そもそも真我に目覚めるということは、立派な人格者になることとは違いますね。
何かに「なる」のではなく「在る」ことに気づくことですよね。
この先、単純にクリシュナは真我であるとして読み進めていきます。
一言一句無駄がないからと、解釈にあたり章句を追って思考ばかりしていましたが、
それをやめて、
こうかな〜と自然と湧き上がるまで委ねる感じで向きあってみています。
(直観的認識とは程遠い、まだまだ思考の領域ですが……)
因みに……
先生のTwitterにあげられていた、
井上陽性の決まりじゃないのよ接種は🎶
👏最高ですね~😆
このことと、
「許し」と「ありのままにみること」が達成できるまで真我が制限をかける。
とが繋がりをもって生起してきました。
今起きていること(コロちゃんとワク騒動)は
まさに
「許し」と「ありのままみ見ること」を
絶賛体験中なのだと思います。笑
コロナウイルスを恐れから敵とみなして闘うのではなく、共生する。
ウイルスの受け入れを許す。
また、未枠の人を排除しないで許す。
ワクは、ウイルスを予防するものではなく、
免疫システムを破壊するものであり、
偽情報に洗脳されないでほんとうの事をありのままに見る。
同じ1つの景色を見ているのに、
(枠の接種やコロナに対して)こんなにも違って見えているのかと驚きます。
これはもはや、外側に見える景色がどうとかいう問題では無くて、見る側の自分の問題なのですね。
そうして視点を外側からそれを見る自分の内側に向ける。(これも神仕組みの誘導かと)
外側のモノゴトを許すことで真我が許しを与え始める。
ありのままにみることで、ありのままの存在である真我に気づける。
過去の記憶を含め、全てを知っている真我。
狭い外向きの視点でみると、一見理不尽に見えるコノ世も、自分を成長させ改善させるための現象(幻ショー)に過ぎない。
真我は完璧な神仕組みの中で、魂に応じた帳尻合わせてをして下さっている。
今の空騒ぎに惑わされていると、人類は、
免疫力という神様から許されない気がします。
真我を探求するとはどういうことなのか、
4章に入り自問していましたが、最終的には
真我に許されることなのだとふと思いました。
因みに……
マスクあごあてくん🎶 笑👏👍
この動画のネタを作った方は、きっとありのままを見ていますね〜。
「毒 偽り 嘘」ってはっきり言っちゃっています。(笑)
いつもありがとうございます。
私はどんだけ気づくのが遅いの〜(笑)
「神の詩」が出版される頃に、ブログとご縁ができ、それからバタバタしつつ向き合って来ました。
先生の解説は素晴らしく、それに頼ると読んだ気になり、それ以上掘り下げることができないと思い、一旦解説を読むのを止めておりました。
でも、漸く抵抗なく読めるようになったので、本の解説を読み直しています。
浸透する感じがあります。(笑)
改めて解説の凄さに驚いています。
4巻5巻、出版が楽しみです。
カバーをつけても、捲ると表紙と同じ素敵なデザインが施されていて感激します。
私は、冬至を節目として、その翌日から一年が始まる感覚の人間なので(笑)、冬至までに一読したいな……間に合わないかな〜😆
唯一無二の解説本は私の宝物です💚
ありがとうございますm(__)m
読み手側にその用意ができていなければ意味がないと思い直しました。
ギーターは精神論や哲学ではなく、真我に向けて語られたもの。
ギーターに出逢って3ヶ月、グチャグチャっとやってきてしまったので、今一度、先生の解説をしっかりと読み、一節ごと丁寧に向き合って行きます。イチから出直します。
丁度、19日が誕生日なので、霊性進化の道を実践し始めた「第3の誕生日」としたいです。(о´∀`о)
本日12/8は成道会。
さらに今朝方、先生が初めて夢に出てきたのは、そのことに気づかせてくれたのだと、
素直にこじつけておきます。(^o^)
いつもありがとうございます。
今日は成道会おさとりの日ですね。第五巻にはお釈迦様の話がたくさん出てきます。