再掲です。
今の世界
理解しあえば解決できる問題は多いと思います。
でも
それは
本当に分かり合えるレベルの場合ですが。
表向きだけ友好関係を見せていても
裏では信頼もせずに
相手のことを馬鹿だと思っていたら
理解し合うことは困難でしょう。
現在も枠珍を巡って
不自然な差別主義が世界各地で問題になっています。
アメリカ先住民族の中で最高の英雄リストの中に名前が出てくるのが
ショーニー族のテカムセです。
テカムセは、
統率力あるカリスマ指導者として、
勇敢な戦士として
雄弁な語り手として
さらには
逞しい身体を持ち、
容姿端麗であり
多くの先住民族に慕われていました。
aoc.gov/art
現在でも
白人への植民地抵抗運動のシンボル的存在として有名です。
テカムセの生まれた時代、
白人入植者たちは自分たちの支配地域を急速に拡大していた時代です。
テカムセとは、
ショーニー族の言葉で「流星」、「天空を横切る豹」などという意味です。
テカムセの住むショーニー族の領土であった東部地方にも
白人たちは押し寄せて、
先住民たちの住んでいた土地を
言葉巧みに騙すことによって「購入」し始めていました。
白人たちは
布や銃などの「物品」を先住民に分け与えます。
それと引き換えに
先住民の土地を「購入」したという事実を作っていったのです。
一方で、
もともと母なる大地を借りて住んでいた先住民たちは
誰のものでもない土地を
売ったり買ったりするなどという概念はなく
白人たちに友好的に土地を提供して利用させていました。
ところが、
白人たちは、
分け与えられた土地を
所有物とみなして
その土地から
先住民族たちを強引に追い出していったのです。
当然のことながら
この白人たちの横暴な行為に納得できない先住民族たちは
先祖代々使っている土地で生活をつづけました。
お互いの考え方の次元が
全く異なっていたのです。
そして、
白人たちは、
土地から出ていかないショーニー族の人たちを
虐殺していきました。
お互いを十分に理解できないことから
亀裂はますます広がっていきました。
テカムセは
合衆国との戦いを決意します。
合衆国との戦いの前には、
テカムセは次のように演説しています。
そして
合衆国を相手に戦いを挑んでいったのです。
二年に渡る壮絶な戦いの末に
1813年10月5日
テカムセは殺されます。
享年47歳。
合衆国兵士たちは
テカムセを射殺後
テカムセの遺体に対して
眼を覆いたくなるような残虐な行為を楽しみ、
切り刻んだ皮膚は、
兵士たちが「記念品」として持ち帰ったとされています。
この戦争の先住民側の敗北により
北米北西部では、
アメリカ合衆国に大きく領土を奪われてしまいました。
テカムセの惨殺後に
預言者であった彼の兄(母親やテカムセ本人という説も)は、
今後20年ごとに選ばれるアメリカ合衆国大統領の不幸を呪っています。
テカムセの死後の20年ごとの
歴代アメリカ大統領の就任後の運命は次の通りです。
(ちなみに
これ以外の年に選出されたアメリカ大統領たちは
食べ過ぎで亡くなったテイラー大統領を除いて
すべて無事に任期を満了しています。)
白人と闘い続け、
白人に殺されたテカムセですが、
実は
白人女性レベッカと結婚を決意したことがありました。
テカムセは、30歳の時に
ある白人一家と知り合いになります。
一家に招待されると
たくさんの蔵書が並べられていました。
それまで白人は、野蛮な人種だと思っていたテカムセは、
白人にも文化があり、
優しく知的な側面があることを初めて知ったのです。
その家には美しい娘レベッカがいました。
テカムセは、彼女から英語を習いながら
たくさんの白人の本を読みました。
そして
10年後にテカムセはレベッカに結婚を申し込みます。
レベッカは、
彼に
アメリカ先住民としての生き方を捨てて
白人社会に入ってくれれば
結婚します。
と伝えました。
テカムセには、
部族としての誇りも
大きな使命も
先住民としての大義も
捨てるわけにはいきませんでした。
その日以来、
二度とその家に行くことはなかったそうです。
「朝起きたら、太陽の光と命と自分に与えられた力に感謝しなさい。
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今の世界
理解しあえば解決できる問題は多いと思います。
でも
それは
本当に分かり合えるレベルの場合ですが。
表向きだけ友好関係を見せていても
裏では信頼もせずに
相手のことを馬鹿だと思っていたら
理解し合うことは困難でしょう。
現在も枠珍を巡って
不自然な差別主義が世界各地で問題になっています。
アメリカ先住民族の中で最高の英雄リストの中に名前が出てくるのが
ショーニー族のテカムセです。
テカムセは、
統率力あるカリスマ指導者として、
勇敢な戦士として
雄弁な語り手として
さらには
逞しい身体を持ち、
容姿端麗であり
多くの先住民族に慕われていました。
aoc.gov/art
当時敵対する白人の軍の兵士もや将校からも、
「テカムセは、惚れぼれする素晴らしい男だ。」
「これほど容姿端麗な男は、他に見たことがない。」
と評されていたと記録されています。
「テカムセは、惚れぼれする素晴らしい男だ。」
「これほど容姿端麗な男は、他に見たことがない。」
と評されていたと記録されています。
現在でも
白人への植民地抵抗運動のシンボル的存在として有名です。
テカムセの生まれた時代、
白人入植者たちは自分たちの支配地域を急速に拡大していた時代です。
テカムセとは、
ショーニー族の言葉で「流星」、「天空を横切る豹」などという意味です。
テカムセの住むショーニー族の領土であった東部地方にも
白人たちは押し寄せて、
先住民たちの住んでいた土地を
言葉巧みに騙すことによって「購入」し始めていました。
白人たちは
布や銃などの「物品」を先住民に分け与えます。
それと引き換えに
先住民の土地を「購入」したという事実を作っていったのです。
1763年には
イギリス人によって
イギリス人によって
「アパラチア山脈の稜線を越えた西側に白人が入植することはない」
という宣言がありましたが
入植者たちは
その宣言を無視して
その宣言を無視して
自分たちで勝手に新たな土地の権利書を作り、
「その宣言は無効である」
と先住民たちに通告してきたのです。
と先住民たちに通告してきたのです。
一方で、
もともと母なる大地を借りて住んでいた先住民たちは
誰のものでもない土地を
売ったり買ったりするなどという概念はなく
白人たちに友好的に土地を提供して利用させていました。
ところが、
白人たちは、
分け与えられた土地を
所有物とみなして
その土地から
先住民族たちを強引に追い出していったのです。
当然のことながら
この白人たちの横暴な行為に納得できない先住民族たちは
先祖代々使っている土地で生活をつづけました。
お互いの考え方の次元が
全く異なっていたのです。
そして、
白人たちは、
土地から出ていかないショーニー族の人たちを
虐殺していきました。
それがきっかけに戦いが始まります。
その結果
ショーニー族は白人に敗れ、
部族の使っていた土地への入植者の領有権を
白人のものとすることを認めさせられます。
そして
さらに
友好訪問に訪れていたショーニー族の首長コーンウッドが
白人によって殺害されてしまいます。
その結果
ショーニー族は白人に敗れ、
部族の使っていた土地への入植者の領有権を
白人のものとすることを認めさせられます。
そして
さらに
友好訪問に訪れていたショーニー族の首長コーンウッドが
白人によって殺害されてしまいます。
ショーニー族は、
報復として
入植者たちの開拓地を攻撃しました。
報復として
入植者たちの開拓地を攻撃しました。
1787年には
アメリカ議会の代表が先住民と交渉を進め、
イロコイ族の代表が、
自分たちの土地ではないオハイオ川以北の土地をアメリカに分割譲渡する契約をしてしまいます。
この契約締結に対して
アメリカ議会の代表が先住民と交渉を進め、
イロコイ族の代表が、
自分たちの土地ではないオハイオ川以北の土地をアメリカに分割譲渡する契約をしてしまいます。
この契約締結に対して
ショーニー族は全て拒否し、
イギリスの極秘の支援のもとで、
アメリカ先住民連合国家の設立を計画し始めます。
イギリスの極秘の支援のもとで、
アメリカ先住民連合国家の設立を計画し始めます。
このような時代背景の中で
テカムセは、
これ以上の白人たちの横暴な所業を見逃すことはできず、
先住民族の力を結集していくことに決めました。
彼は、
ハイアワサのイロコイ連邦や
ポワターンのポワターン連合体
を上回る大規模の先住民部族の団結を目指して
かつては不仲だった部族を精力的にまわっては
結束を呼びかけ、
共同体を作り上げていきました。
東はイロコイ連邦、
北はカナダ五大湖周辺のヒューロン族、オタワ族、
西はミシシッピー川を越えてスー族、マンダン族、シャイアン族、
南は宿敵だったナチェズ族、チョクl族、クリーク族、チェロキー族、セミノトル族などの
多くの部族と結束を強めていきました。
これは相当の努力が必要だったことです。
テカムセは
戦いの前に
お互いを分かり合うことで
戦いを回避したいという思いを持って
白人のウィリアム・ハリソン知事と会見します。
テカムセは、
これ以上の白人たちの横暴な所業を見逃すことはできず、
先住民族の力を結集していくことに決めました。
彼は、
ハイアワサのイロコイ連邦や
ポワターンのポワターン連合体
を上回る大規模の先住民部族の団結を目指して
かつては不仲だった部族を精力的にまわっては
結束を呼びかけ、
共同体を作り上げていきました。
東はイロコイ連邦、
北はカナダ五大湖周辺のヒューロン族、オタワ族、
西はミシシッピー川を越えてスー族、マンダン族、シャイアン族、
南は宿敵だったナチェズ族、チョクl族、クリーク族、チェロキー族、セミノトル族などの
多くの部族と結束を強めていきました。
これは相当の努力が必要だったことです。
テカムセは
戦いの前に
お互いを分かり合うことで
戦いを回避したいという思いを持って
白人のウィリアム・ハリソン知事と会見します。
テカムセが代表となる先住民族側は、
先住民の概念では、土地は母なる大地であり、誰の所有物でもない。したがって売買することはできない。土地は、白人が利用するのと同じように、等しく先住民も利用されるものである。土地は我々すべてに権利があるのであり、一部の者が勝手に作った契約が正当だとは思わない。全員が関係する土地の話し合いであれば、それに関わる全員が参加すべきである。
と主張します。
ハリソンを代表とする白人が作る合衆国側は
ハリソンを代表とする白人が作る合衆国側は
条約は公正に作られたもので、有効である。条約を守らないようであれば、先住民たちを徹底排除する。
と主張します。
お互いが
全くわかり合えていないまま
交渉は決裂しました。
ハリソンは
初めから先住民族たちを
見下していたのです。
交渉など初めから上手くいくはずはなかったのです。
結局は、お互いが
全くわかり合えていないまま
交渉は決裂しました。
テカムセは
「これ以上侵略するのであれば、我々はこれ以上一歩も退くつもりはない。」
ハリソンは
「この地上にある美しい土地は、多くの人のために、文明と科学と真の宗教のための場所となるよう運命付けられている。それを、先住民のような少数の宗教すら持たない野蛮人がのさばる状態に放置しておいてよいのだろうか?」
ハリソンは
初めから先住民族たちを
見下していたのです。
交渉など初めから上手くいくはずはなかったのです。
お互いを十分に理解できないことから
亀裂はますます広がっていきました。
テカムセは
合衆国との戦いを決意します。
合衆国との戦いの前には、
テカムセは次のように演説しています。
「今、ピクォート族はどこにいってしまったのか?
ナラガンセット族、モヒカン族、ポカノケット族もペクオート族も、
他の強い部族たちは皆、どこにいってしまったのか。
白人たちの貪欲と抑圧によって
あたかも夏の日射しを受けた雪のように消えてしまった。
われわれは、民族としてなんの抵抗もすることなく、
次は自分たちの番だと、部族を消滅させられるにまかせるというのか。
ナラガンセット族、モヒカン族、ポカノケット族もペクオート族も、
他の強い部族たちは皆、どこにいってしまったのか。
白人たちの貪欲と抑圧によって
あたかも夏の日射しを受けた雪のように消えてしまった。
われわれは、民族としてなんの抵抗もすることなく、
次は自分たちの番だと、部族を消滅させられるにまかせるというのか。
偉大なる精霊によって与えられた家、山や川を、闘うこともなしに放棄してよいというのか。
私たちの先祖の墓をはじめ、私たちにとって大切な聖なるものを
すべて放棄してしまうというのか。
あなた方は私と共にこう叫ぶだろう。
「断じて、そのようなことになってはならない。」
と。」
私たちの先祖の墓をはじめ、私たちにとって大切な聖なるものを
すべて放棄してしまうというのか。
あなた方は私と共にこう叫ぶだろう。
「断じて、そのようなことになってはならない。」
と。」
そして
合衆国を相手に戦いを挑んでいったのです。
二年に渡る壮絶な戦いの末に
1813年10月5日
テカムセは殺されます。
享年47歳。
合衆国兵士たちは
テカムセを射殺後
テカムセの遺体に対して
眼を覆いたくなるような残虐な行為を楽しみ、
切り刻んだ皮膚は、
兵士たちが「記念品」として持ち帰ったとされています。
この戦争の先住民側の敗北により
北米北西部では、
アメリカ合衆国に大きく領土を奪われてしまいました。
テカムセの惨殺後に
預言者であった彼の兄(母親やテカムセ本人という説も)は、
今後20年ごとに選ばれるアメリカ合衆国大統領の不幸を呪っています。
テカムセの死後の20年ごとの
歴代アメリカ大統領の就任後の運命は次の通りです。
1820年 - ジェームズ・モンロー、任期満了、退任6年後の1831年に死去。
1840年 - ウィリアム・H・ハリソン、1841年4月4日に肺炎で死去。
1860年 - エイブラハム・リンカーン、1865年4月14日に暗殺。
1880年 - ジェームズ・ガーフィールド、1881年7月2日に暗殺。
1900年 - ウィリアム・マッキンリー、1901年9月14日に暗殺。
1920年 - ウオレン・G・ハーディング、1923年8月2日に心臓発作で死去。
1940年 - フランクリン・ルーズベルト、1945年4月12日に脳溢血で死去。
1960年 - ジョン・F・ケネディ 、1963年11月22日に暗殺。
1980年 - ロナルド・レーガン、1981年3月30日に暗殺未遂、任期満了、退任15年後の2004年に死去。
2000年 - ジョージ・W・ブッシュ、2005年5月10日に暗殺未遂があったが任期満了。
2020年、ジョー・バイデン 現職中
2020年、ジョー・バイデン 現職中
(ちなみに
これ以外の年に選出されたアメリカ大統領たちは
食べ過ぎで亡くなったテイラー大統領を除いて
すべて無事に任期を満了しています。)
白人と闘い続け、
白人に殺されたテカムセですが、
実は
白人女性レベッカと結婚を決意したことがありました。
テカムセは、30歳の時に
ある白人一家と知り合いになります。
一家に招待されると
たくさんの蔵書が並べられていました。
それまで白人は、野蛮な人種だと思っていたテカムセは、
白人にも文化があり、
優しく知的な側面があることを初めて知ったのです。
その家には美しい娘レベッカがいました。
テカムセは、彼女から英語を習いながら
たくさんの白人の本を読みました。
そして
10年後にテカムセはレベッカに結婚を申し込みます。
レベッカは、
彼に
アメリカ先住民としての生き方を捨てて
白人社会に入ってくれれば
結婚します。
と伝えました。
テカムセには、
部族としての誇りも
大きな使命も
先住民としての大義も
捨てるわけにはいきませんでした。
その日以来、
二度とその家に行くことはなかったそうです。
「朝起きたら、太陽の光と命と自分に与えられた力に感謝しなさい。
食べ物に、生活の喜びに感謝しなさい。
感謝する理由が見つからないのであれば、
あなたの中に落ち度があるはずだ。」
テカムセ
もっと白人と先住民が
深く理解し合えたら、
このような悲劇は起こらなかったと思います。
白人にひどい仕打ちを受けたテカムセでさえ、
長い時間をかけてお互いを理解し合うことによって
白人であるレベッカに対して
心から愛することが出来たのです。
でも
レベッカは
やはり心の中では
先住民族を見下していたのかもしれません。
これは
古今東西
どんなことにも言えること。
今の世界でも
争いのすべては、
相手を馬鹿扱いして信頼もせず
尊重しないことから
始まるのです。
テカムセの言うように
仲違いした友人がいて
その友人に対して感謝の気持ちが
相手を尊重する気持ちが
出てこないのであれば、
まずは
自分の心の中にある落ち度を探さなければなりません。
今日もありがとうございます。
あなたの中に落ち度があるはずだ。」
テカムセ
もっと白人と先住民が
深く理解し合えたら、
このような悲劇は起こらなかったと思います。
白人にひどい仕打ちを受けたテカムセでさえ、
長い時間をかけてお互いを理解し合うことによって
白人であるレベッカに対して
心から愛することが出来たのです。
でも
レベッカは
やはり心の中では
先住民族を見下していたのかもしれません。
これは
古今東西
どんなことにも言えること。
今の世界でも
争いのすべては、
相手を馬鹿扱いして信頼もせず
尊重しないことから
始まるのです。
テカムセの言うように
仲違いした友人がいて
その友人に対して感謝の気持ちが
相手を尊重する気持ちが
出てこないのであれば、
まずは
自分の心の中にある落ち度を探さなければなりません。
今日もありがとうございます。
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コメント
コメント一覧
ありがとうございます。
私が子供の頃は、普通にほぼ毎週?毎日?テレビで、インディアンが悪者で、白人がヒーローの西部劇が流れていました。
今は、その頃に比べると、随分意識が変化した様に思いますが
根本では、相変わらず頑固に凝り固まり燻って、世界をこんらんさせているのだと、改めて見つめることができました。
私自身、表面では理解者の様に振る舞ったり、そう思われたりしますが、
実の所、心は裏腹で、
良い顔をするのは、恐れから。
同じく、私を見下しているであろう人は
こちらが、怒りではなく、自分自身に尊厳を持って、冷静に観察すると
本人も気づいていない様な恐れに巻き込まれているのが分かります。社会的な事柄に対して、発言している人たちに対しても、微かに心の中で文句を垂れていたりすることが耐えないです。
でも、私は、ほんの一瞬気づいた、その自分や相手の根本の部分から目を逸らして
怒りや不安や、恐怖に巻き込まれて
争い事を起こしてしまったり、もっと姑息に、自分は高みの見物で、自分自身の投影である、他人同士の争いを非難したりしてしまいます。
テカムセの物語は、勇気と同時に、勇気を振るい立てることへの恐れも湧き起こします。
私は、その時代や、その他の時空で、迫害した側だったかもしれない。迫害された方かもしれない。
この記事を読むごとに、
とても深い、後悔の念の様な、悲しさやりきれなさが湧き上がりました。
ですから、今日からの、私への課題は、自分自身の根本を見つめる。
自他をりかいする。真の意味で理解、許し、調和、共調する。
諦めず投げやりにならず、自分に尊厳を持ち、同じように他者も尊ぶ
意見が食い違っても、根気よく、お互いが調和するまで、自分自身にできることをする。
とても肝腎な、冬至の指針を頂きました。
本当に感謝します。
突然の書込み失礼致します。
今年が終わる前に、皆様にどうか知って頂きたい事があり、誠に恐縮ですが書込ませて頂きました。
テレビが大きく報じぬ中、連日中国が尖閣侵略を狙い、領海侵犯を拡大する現状、国民の命にも関わるその危うさをどうか多くの方に知って頂きたいです。
かつて9条の様に非武装中立を宣言し、平和的で軍事力の弱かったチベット等は、中国に武力で侵略や虐殺され、その覇権拡大は現在進行形で行われています。
日本は過去韓国に竹島を不法占拠され、多くの船員が機関銃で襲撃され死傷し、北朝鮮には国民を拉致され、
尖閣には中国艦艇が侵犯する現状でも、憲法の縛りで日本は国を守る為の手出しが何一つ出来ません。
「日本の領海を力で取る」と明言し、尖閣周辺の動きもエスカレートする中、9条を改正し自立した戦力を持たなければ、
有事の際、敵基地攻撃能力を持たない今の日本では、国民の命と領土は守られません。
中韓による侵略は、メディアや野党が法制化を目指す、外国人参政権や夫婦別姓等からも始まっており、
外国人参政権はアメリカ始め世界でも認める国は少なく、
ハワイはアメリカに外国人参政権を与え乗っ取られ、ウクライナのクリミア半島も住民投票を行った体でロシアに帰属しました。
又夫婦別姓についても元々は韓国中国の制度であり、地位の低い女性は夫の姓を名乗らせないという、女性蔑視の歴史的背景によります。
この夫婦別姓は最終的に日本の戸籍廃止を目的としており 、戸籍がある事で発見や追跡が出来た
背乗りや密航等の犯罪も、これを無くす事で不都合な出自隠蔽が容易となります。
続きます
「これほど容姿端麗な男は、他に見たことがない。」
……森井先生みたい…
「これほど容姿端麗な男は、他に見たことがない。」
……森井先生みたい…
「これほど容姿端麗な男は、他に見たことがない。」
……森井先生みたい…
「これほど容姿端麗な男は、他に見たことがない。」
……森井先生みたい!♥…?
まさちゃんが復活。
私は、爺です。
森井先生といえば、若い頃、オーストラリアの空を飛行機で飛び回った「お話」が印象的で、しかも今はホメオパシーの獣医さんですから、うらやましいです。
しかも「冬山を深夜に登って朝日を拝む」とか、「超人伝説」しか聞いていない人が多いんではないですか。
これは多分、滝沢さんのせいです(笑)
明日は冬至で、今夜の12時過ぎ頃が、冬至点だったと思います。
現在、「ひよとやむなみ」(ナチュラルスピリット)という本を読んでまして、かなりこれは、けっこう本物っぽいです。
しかし、まだ検証しながら、進んでいくしかありません。
それ以前に、「ギーター」があるので、これからも読み勧めていきます。
雪山は、真夜中に歩くのが一番です♪
やはり心の中では
先住民族を見下していたのかもしれません。
この部分に、違和感を感じました。
前回の時も、そう思いましたが、忖度してしまいました。
森井先生が、そう、思われるのなら、そうかもしれませんが、
私には、レベッカは、先住民としての生き方を捨てて、白人社会に入ってくれればの中には、これからの先住民の行く末、テカムセの将来を案じての返事に思えてしまいます。
その後のテカムセの話を聞くと、ほんとにそう思います。