神の詩 第五章十二節 31

続きです。
昨日は
今日は

「心を統一した者(ヨーガ行者)は、行動の結果を捨てて、究極の平安に達する。心を統一していない者は、欲望のままに行動し、結果に執着して束縛される。(十二)」
「心の統一」
に必要なことを述べています。
に必要なことを述べています。
昨日は
霊的理想の確立についてでした。
神へと向かう意思についてです。
神へと向かう意思、
霊的な渇望は、
人を真摯に動かす原動力となる
とても大切なものです。
人は、
お腹が空かないと食べ物を欲しがることはありません。
喉が渇かないと水を欲しがることもありません。
それと同じように、
神を欲する強い気持ちは、
極限まで霊的恩恵に餓えない限りは、
求めようとしないものです。
人は地上での生活を通して、
さまざまな試練に逢い、
多くの喜怒哀楽を経験していくうちに、
少しずつ
霊的な餓えを
感じるようになっていきます。
まずは
霊的な餓えを
はっきりと感じ取ることです。
霊的な渇望は、
人を真摯に動かす原動力となる
とても大切なものです。
人は、
お腹が空かないと食べ物を欲しがることはありません。
喉が渇かないと水を欲しがることもありません。
それと同じように、
神を欲する強い気持ちは、
極限まで霊的恩恵に餓えない限りは、
求めようとしないものです。
人は地上での生活を通して、
さまざまな試練に逢い、
多くの喜怒哀楽を経験していくうちに、
少しずつ
霊的な餓えを
感じるようになっていきます。
まずは
霊的な餓えを
はっきりと感じ取ることです。
目の前にお米があります。
でも、
中途半端にお腹が空いても、
人はわざわざ炊いてまで食べる必要は無いと考えます。
でも、
中途半端にお腹が空いても、
人はわざわざ炊いてまで食べる必要は無いと考えます。
それでは
すごく餓えていたらどうでしょうか。
きっとお米を炊いて、
食べると思います。
すごく餓えていたらどうでしょうか。
きっとお米を炊いて、
食べると思います。
人の霊的な餓えも、
日常生活でよほど注意深くなければ、
大きな出来事が無いと
なかなか気がつかないものです。
地上の重い体を持っていると、
人は意外と鈍感で怠惰になるのです。
日常生活でよほど注意深くなければ、
大きな出来事が無いと
なかなか気がつかないものです。
地上の重い体を持っていると、
人は意外と鈍感で怠惰になるのです。
人は、
地上で肉体を持ったまま最大限の活動をしなければなりませんので、
鈍感や怠惰を克服することは
初歩的な一歩となります。
地上で肉体を持ったまま最大限の活動をしなければなりませんので、
鈍感や怠惰を克服することは
初歩的な一歩となります。
まずは
肉体を
霊的活動に使えるように
馴染ませていきます。
肉体を躾て、
感覚器官を躾て、
心を躾ます。
肉体を
霊的活動に使えるように
馴染ませていきます。
肉体を躾て、
感覚器官を躾て、
心を躾ます。
肉体は、
正しい姿勢と呼吸、
食べ物に特に注意を払います。
霊性を高める内的探求では、
肉体の手入れは必須です。
飛行機に乗ってどこか目的地に行くときに、
まずは
飛行機の整備をするのは当たり前のことです。
肉体は、
魂を載せて神の元へ飛んでいくための、
最も大切な宇宙船です。
日頃から保守管理することが大切なのは明らかです。
次は正しい姿勢と呼吸、
食べ物に特に注意を払います。
霊性を高める内的探求では、
肉体の手入れは必須です。
飛行機に乗ってどこか目的地に行くときに、
まずは
飛行機の整備をするのは当たり前のことです。
肉体は、
魂を載せて神の元へ飛んでいくための、
最も大切な宇宙船です。
日頃から保守管理することが大切なのは明らかです。

コメント
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昨夜は2時半頃就寝。早目に起きて山に向かおうと思っていましたが、寝すぎて7時前に起床。山に向かうか思案していましたが、結局神社で瞑想することにしました。
小さなお堂で目を閉じて、最近思い立ってはじめた「あおうえい」のマントラを唱えて、身体が共振するのを楽しんでいました。
すると、雨に。晴れの天気予報でしたが、かなりしっかりと降ってきました。もし山に入っていたら、ずぶ濡れだったと思います。(まあ、それも楽しいのですが)
いつもの部屋から出て、静かに桜の木や山を眺めながら内に留まる。久しぶりに深い瞑想に入れた気がしました。
まだまだ、知らないことだらけですが、日々のひかたま更新に感謝しながら、最後尾を何とかついて行けてるはずです。行けてて欲しい。
技法や知識も大切ですが、いつも結局かえってくるのは、心の在り方。日々を丁寧に。知れば知るほど、私の小ささを思い知らされます。はー、大丈夫かな私は。
でも、やる気だけは、あります。
分かるまで、やめない。
今日もありがとうございます。