きれいねっとさんから発売中の
「君が代から神が代へ」
からの抜粋です。
この書では、
古代から伝わる「死」についての考え方も書いています。
それは
現代の「死」の概念とは異なるものです。
さらに

ここから
「君が代から神が代へ」の
一部抜粋です。
きれいねっと
・・・・
「バルド」は、チベットの言葉。
「バル」は、中間を意味し、
「ド」は、解き放たれたこと
を意味しています。
バルドは
狭い意味では、
死と次に生まれるまでの間の状態を言いますが、
広くは、もっと深遠な意味を含んでいます。
「君が代から神が代へ」
からの抜粋です。
この書では、
古代から伝わる「死」についての考え方も書いています。
それは
現代の「死」の概念とは異なるものです。
さらに
バルドについても言及しています。
バルドとは、
仏教では、中陰(ちゅういん)中有(ちゅうう)と呼ばれる
輪廻転生の生と生の合間の
天にいる状態のこと。
死から中間世に行くときのお話になります。
バルドとは、
仏教では、中陰(ちゅういん)中有(ちゅうう)と呼ばれる
輪廻転生の生と生の合間の
天にいる状態のこと。
死から中間世に行くときのお話になります。
中間世を少し覚えている私には
とても親しみある世界です。

ここから
「君が代から神が代へ」の
一部抜粋です。

・・・・
「バルド」は、チベットの言葉。
「バル」は、中間を意味し、
「ド」は、解き放たれたこと
を意味しています。
バルドは
狭い意味では、
死と次に生まれるまでの間の状態を言いますが、
広くは、もっと深遠な意味を含んでいます。
『チベット死者の書』(バルド・トェ・ドル・チェンモ)の流行で知られるようになった言葉です。
(中略)
・・・
この書は、
聖者パドマサンバヴァが著した経典の一部ですが、
これを弟子たちがいずれ必要になるときがくるまで、
封印し山中に埋めて隠しておいたものです。
それが14世紀になって、
チベット人透視能力者カルマリンパによって発掘されました。
(中略)
・・・
この書は、
聖者パドマサンバヴァが著した経典の一部ですが、
これを弟子たちがいずれ必要になるときがくるまで、
封印し山中に埋めて隠しておいたものです。
それが14世紀になって、
チベット人透視能力者カルマリンパによって発掘されました。
この経典は、
死の間際に際して僧侶によって枕元で読まれる枕経として有名です。
バルド朗読者は、
臨終の席で
その人に完全な死が訪れるまで
バルド・トェ・ドル・チェンモを聞かせ続けます。
死の間際に際して僧侶によって枕元で読まれる枕経として有名です。
バルド朗読者は、
臨終の席で
その人に完全な死が訪れるまで
バルド・トェ・ドル・チェンモを聞かせ続けます。
チベットでは、
瞑想しないで悟りに至る五つの方法が知られており、
その中の一つが、
このバルド・トェ・ドル・チェンモのような教えをよく聴くことなのです。
瞑想しないで悟りに至る五つの方法が知られており、
その中の一つが、
このバルド・トェ・ドル・チェンモのような教えをよく聴くことなのです。
それは何故でしょうか?
死の瞬間というものが、
魂の進化にとても大きな役割を持っているからです。
魂の進化にとても大きな役割を持っているからです。
では、
バルド・トェ・ドル・チェンモを、
死の間際に、
死に行く者に聴かせるとどうなるのでしょうか。
バルド・トェ・ドル・チェンモを、
死の間際に、
死に行く者に聴かせるとどうなるのでしょうか。
眠りにつく直前に考えていたことや見たものが、
夢に出てきたり、
目覚めた時に思い出すことが、
誰しもよくあると思います。
夢に出てきたり、
目覚めた時に思い出すことが、
誰しもよくあると思います。
また、
車を停めた時に運転中に車内で聞いていた音楽が、
車から降りた後も頭の中で流れ続けたり、
テレビCMを見た直後にテレビを消した場合には、
特徴的なCMソングが頭の中に繰り返し出てくることもあると思います。
車を停めた時に運転中に車内で聞いていた音楽が、
車から降りた後も頭の中で流れ続けたり、
テレビCMを見た直後にテレビを消した場合には、
特徴的なCMソングが頭の中に繰り返し出てくることもあると思います。
一つの状態から別の状態に移行する時に、
その状態の最後に耳にした音が、
次の状態の意識の中で
増幅して大きな影響を与えるのです。
その状態の最後に耳にした音が、
次の状態の意識の中で
増幅して大きな影響を与えるのです。
・・・
(中略)
・・・
死の前に聞いたこと、
死の前に思ったこと、
死の前に体験したこと……。
それらが、中間生と次の生に大きく影響します。
・・・
この性質を上手く利用することができるのです。
(続きは本書で。)
こちらも
ひかたま:「君が代から神が代へ」序文から:死の概念
ひかたま:国歌君が代の「いはおとなりて」
ひかたま:君が代の構造
今日もありがとうございます。
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(中略)
・・・
死の前に聞いたこと、
死の前に思ったこと、
死の前に体験したこと……。
それらが、中間生と次の生に大きく影響します。
・・・
この性質を上手く利用することができるのです。
(続きは本書で。)
こちらも
ひかたま:「君が代から神が代へ」序文から:死の概念
ひかたま:国歌君が代の「いはおとなりて」
ひかたま:君が代の構造
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コメント
コメント一覧
肉体の衣を脱ぎ
こちらの世界から離れることが
究極的には
しあわせ(死遭わせ)な人生
である(であった)と
おもっています。
たとえどのような人生であったとしても
何1つ間違いなどではなく
すべてが必要な体験・経験であり
すべてが恕されるべきものであると
おもいます
『恕し』を得られれば
カルマは解消されてゆくとおもいます。
バルド、初めて聞いたことばですが、
・・・
死の前に聞いたこと、
死の前に思ったこと、
死の前に体験したこと……。
それらが、中間生と次の生に大きく影響します。
主人のなくなった時をおもいだしています。
AM訪問医その他、6人くらいで、どこにも行きたくない、ここにいると言っていたのに、奥さんが限界と、みんなが。
1Fで相談の結果、普通は無理なのに、そのとき、行けるところが決まりました。
マッサージの方が、帰ったのに、足が、暖かくないので、ゴムの湯たんぽをふたつ、足の近くに入れました。
子供が、吸い飲みを買いに行って戻ってきて、様子を見た子供が、お父ちゃん、息してないよ。
そして、再度、訪問医が、来て、死亡診断書を書きました。
どこにも行かない、といっただろう、なのに、決めたから、俺は、この家から、あちらに行くよと、実行しました。その日のうちに。
続きます。
こんな微笑の亡くなった人の顔って、初めてみました。どう見ても恵比寿様。
あまりびっくりしたので、何枚も写真を撮りました。
自分で決めて、実行できるものなのですね。薬、点滴を一度してしまってから、體の状態、反応を知って、決めたみたいです。(俺はやりたいことは、みんなやってきた、できたと・・・。)
ベッドで動いているのが解かっても、起き上がれない自分をひどい人だと思っていましたが、それは、私を来させず、体力を消耗させるための行為だったと、後で理解しました。
動けるうちに、出来ること、自分のいく、場所、時間まで、思うように実行した。ものすごい意思、精神力に、男性性の力なのかと思いました。
ご主人が、本気で怒ったら貴女、生きていられないわよと、友人が、云ったことがありますが、保護者に徹したままで・・・。
今、主人が、望んでいた事、楽しみにしていたことを思い出し、やっています。それが私にも最適な感じです。
手を合わせに来てくださった方が、3人、続けて、ご主人は感謝してますよ。特に、奥さんにとの、言葉を発しました。
なので、満面の笑み、なのですね。
私は、そのような、終わり方、卒業ができるでしょうか?そうしないと、同じところにいけないのでしょうか?会えないのでしょうか?等と、考えてしまいます。
その後も、不思議なことだらけで、保護者してくれていますが・・・。
森井先生に、ついて行ったら、大丈夫でしょうか?
引き合わせてくれましたし!。
それは、実際にチベットの高僧たちが読経した「バルド」を現地で収録したもので、
長い経典の中から、現代の私たちにも必要と思われる部分を高僧に抜粋してもらい、
それを編集・CD化したものです。高僧の独特な節回しや息づかいまで伝わってきます。
父の臨終の際、その「バルド」を枕元で小さく流していました。
亡くなった後も、四十九日の法要が終わるまで途切れることなく流し続けていました。
ありふれた日常生活の中の、穏やかで、ひっそりとした静かな「死」でした。
それができたのも、最期まで自宅で看取れたからです。
最期が病院であったなら、いろいろな制約があって無理だったことでしょう。
チューブに繋がれ、薬漬けで意識朦朧とした状態のまま死を迎えるというケースが
圧倒的に多いでしょうし…。
その状態では「バルド」の読経も意識に届かない、響かないのでは? と思います。
ある時、亡くなった父がひょっこりと出てきました。
生前そうだったように、ちょっとお道化た顔で、照れ隠しのぶっきらぼうな物言いで、
「お前はどうしてるんだ? 大丈夫なのか? 元気でやってるのか?」と。
私の方を気遣い心配する余裕までみせたりして…、さっそく「バルド」効果か?(笑)
解放されたような父の満面の笑顔、それを見れただけでもういいや、私は満足です。