神の天意(あい)と自分の愛を重ねて生きること。
「真の幸福と人生の究極の目的を確信するにあたって、最も必要なことは、
「人生は一度ではない」こと、
そして
「人は肉体だけでなく、エネルギー体を含むもっと大きな存在である」ことを
理解することだと思います。
「人生は一度ではない」こと、
そして
「人は肉体だけでなく、エネルギー体を含むもっと大きな存在である」ことを
理解することだと思います。
輪廻転生を確信し、
魂が永遠不滅の存在であることを思い、
この物質世界が大きなエネルギー世界のほんの一部でしかないことを感じることができたなら、
人生は
大きく美しく変わります。
魂が永遠不滅の存在であることを思い、
この物質世界が大きなエネルギー世界のほんの一部でしかないことを感じることができたなら、
人生は
大きく美しく変わります。
それはまるで、
自分の心の深い場所に「神理の扉」を発見し、
そっと開き、
その内へと入るようなもの。
自分の心の深い場所に「神理の扉」を発見し、
そっと開き、
その内へと入るようなもの。
入った途端、
いつもの景色、
いつもの人々、
いつも見ているあらゆる存在が、
突然輝いて活き活きとした世界へと変容します。
地の理だけに囚われていた私たちは、
天の理、神理を知ることによって、
同じ場所、同じ時にいながら、全く違う世界に入ることができるのです。」
いつもの景色、
いつもの人々、
いつも見ているあらゆる存在が、
突然輝いて活き活きとした世界へと変容します。
地の理だけに囚われていた私たちは、
天の理、神理を知ることによって、
同じ場所、同じ時にいながら、全く違う世界に入ることができるのです。」


コメント
コメント一覧
為し合わせ「なしあわせ」と読むのでしょうか?他のサイトで意味を調べると、人と人の思いを投げ合うといったような表現になっています。
ひかたまのような解釈は、見当たりませんが
どの視点から物事を捉えるのかで、違う表現になるのだなぁと感じました。
個として、そして全体としても在る私という意識。私はずっと、全体意識にシフトすると個としての思考や感情は消えてなくなってしまうのだと思っていました。
今は、個としての意識が全体意識へのガイドのような働きをしてくれるような感覚でいます。共に在るという意識です。
在るも無いも、どちらも認識しているという視座からみれば、在るわけで、無いを知ることは出来ないけれど、在るの背後に無いは内包されているのではないかと思っています。
在るが故に、無い。
今は、そんな心境です。
書いてて、よく分からなくなりました(笑)
何でこんなこと書いたんだろ?
森井先生は、私にとって灯台の明かりのような存在です。こっちだよ~って、道を照らして下さってます。ありがとうございます。
いつも感謝しております。
いつも感謝しております。
ありがとーございま~す(笑)
ありがとうございます。
なしあわせには、五つの段階があり、天意と愛のなしあわせは最も崇高なものです。人と人の愛を合わせる「なしあわせ」から始まります。インターネットには、おそらくこの基礎の部分だけのっているのではないかと思います。
まさちゃん、いつもありがとうございます。
こちらこそ感謝です。
五つも段階があるのですね。
段階と聞くと、階段のように一段目と二段目は別々の階層というイメージでいましたが、最近は二段目は一段目を内包しているという感覚でいます。
可笑しな言い方ですが、私が三段目にいると認識するためには、四段目にいないと分からない、ということです。
私が何処にいるのかを知るには、私を含む全体の地図を持っている必要があるからです。
瞑想を繰り返していると、所有と枠組、働きなどがとても曖昧なものに思えてきます。私が私であることが、とても不確かになっているようです。
分からないことばかりです。だから、今日も座っています。