五箇條の御誓文
3月14日は、五箇条の御誓文の日でした。
1868年(明治元年)のこの日、
明治天皇が京都御所の紫宸殿で、
公家や大名を率いて神に誓うという形で出されたものです。
1868年(明治元年)のこの日、
明治天皇が京都御所の紫宸殿で、
公家や大名を率いて神に誓うという形で出されたものです。
この前年
1867年10月に
将軍徳川慶喜は大政奉還し、
12月には王政復古の大号令が発せられました。
これにより、
幕藩体制に変わり、
新政府が成立。
この頃の日本の世情は混乱の最中にあり、
新政府は多くの問題を抱えた状況でした。
1867年10月に
将軍徳川慶喜は大政奉還し、
12月には王政復古の大号令が発せられました。
これにより、
幕藩体制に変わり、
新政府が成立。
この頃の日本の世情は混乱の最中にあり、
新政府は多くの問題を抱えた状況でした。
そこで、
明治天皇は、
自ら国難の先頭に立って、
日本国を護り、発展へと導くことを念頭に、
国民への協力を求めるために、
御誓文が布告されることになりました。
明治天皇は、
自ら国難の先頭に立って、
日本国を護り、発展へと導くことを念頭に、
国民への協力を求めるために、
御誓文が布告されることになりました。
この御誓文には、
国利民福(国益と国民の幸福)を願う民主主義の基本と日本国の理念が示されています。
国利民福(国益と国民の幸福)を願う民主主義の基本と日本国の理念が示されています。
これは今でも生きた誓文として、
さらに誇り高い日本を目指して
現代社会に活かしていくことが出来るものです。
さらに誇り高い日本を目指して
現代社会に活かしていくことが出来るものです。
現代の意味に訳すと
一、 幅広い人材で会議を行い、公正な意見によって決議すること
一、 身分役職の上下無く心を一つにして、精力的に国を治め整えること
一、 文官・武官だけでなく、国民も各々の職責を果たし、各自志すところを達成し、希望を持ち続けることが肝要
一、 古くからの悪い習慣を破り、何事も天意に基づいて行うこと
一、 知識を世界に広く求め、天皇を中心として大いに国を発展させること
国は未だかつてない大変革を行うにあたって、
私自ら天地神明に誓い、重大な決意の元に国政に関する基本方針を定め、国民が平和に暮らせる道を確立しようとしている。皆もこの主旨に基づき、心合わせ努力することを希望する。
wikipedia
私自ら天地神明に誓い、重大な決意の元に国政に関する基本方針を定め、国民が平和に暮らせる道を確立しようとしている。皆もこの主旨に基づき、心合わせ努力することを希望する。

コメント
コメント一覧
不勉強で触れる機会がありませんでした。
御誓文に触れながら、
私とは何だろう?
国とは何だろう?
と思いを巡らせていました。
神の詩に触れていると
それはそれとして同時に在りながら
何ら違いはない
どちらも等しく私である
という感覚が芽生えていることに
気付かされます。
個としてありながら全体としてもある
どちらかではなく、どちらも
心を鎮めて、聖典に触れる
煩わしい日常と思っていた場所が
それを実践する最適の場所だと
心から思えるようになって来ました。
日常もお仕事も
聖なる時間から私を引き離す邪魔ものではなく
それと共にある自らを、より高めてくださる
私にとって最適最高の場所
雑念だらけで座る瞑想の時間と
次々と舞い込む日常やお仕事の作業
どこに意識を置き、どうするのか
行動の中にあっても瞑想となんら違いはない
座っていても、動いていても
心はいつも同じ場所にある
いつも同じ方向へ向け続けている
不動明王とは、そんな私の内の意識状態の
ひとつを具象化したものなのかも知れない
御誓文から、そんなことを思いました。
今日も、ありがとうございます。
新刊楽しみにしています。